あいちの茶(歴史)
歴史
安土・桃山時代の天正年間(1573年~1596年)に現在の新城市鳳来地区能登瀬地内で洞泉庵を開山した三叟和尚が茶の種子を播いて作った茶園が寺領として認められていたことが旧家の古文書に記されている。
また、西尾市の古文書「実相寺文書」には、寛文3年(1663年)に八ツ面地区に茶園ができはじめ、延宝年間(1673年~1680年)には、現在の西尾市での集団的茶園の中心である上町の実相寺と正念寺にそれぞれ所有する茶園があったと記されている。
その他にも17世紀には、新城市、設楽町、東栄町、岡崎市で茶年貢が納められていたとの記録があり、三河ではかなりの茶栽培があったことがうかがわれる。
明治初期の茶業は、輸出茶の好況で順調に伸びていたが、輸出が不振に陥ると、養蚕の好況や明治用水の通水による水田開発も相まって、茶業が衰退した。
西尾市のてん茶栽培は明治39年から始まり、昭和3年にトンネル式製茶が発案されてから急速に増えた。昭和17年頃には軍需もあり、第2の好況期を迎えた。
その後第2次世界大戦の戦域拡大に伴って食料増産のために茶園や桑園は転作減反され、再び茶業が衰退した。
戦後、需要の増加、栽培技術の改善、優良品種の導入などにより、再び生産量が増加した。
①藤岡村(現豊田市)の茶園(昭和40年頃)
②てん茶炉